万古不易の桜
年が明けてから,条例やら規則やら,ああでもないこうでもないといじっていたら,もう3月も終わりですね。
甲突川河畔の桜もまだつぼみですが,佳乃公園の桜は,「昨日今日の天候が続けば,週末には咲くだろう」とのことでした。
さて,昨日会議に出ていたら(もちろん偉い方々の会議で,私は傍聴),「不易流行」という言葉が飛び出しました。
ちょっとこなれていない英語を日本語に置き換えるとすると何になるか,という文脈の中で飛び出したのですが,これはこれでまた,古い言葉です。
意味合いとしては,「時代に応じて移り変わるものの中に,変わることのない本質的なものがある」くらいの意味(ですよね?)で,たしか蕉風俳諧で使われたもの。
ただ,私の中では,この言葉は,山本夏彦と分かちがたく結びついていまして,
《コラムの代表を「天声人語」のたぐいだとすれば、あれはアクチュアリテばかり扱う。昨日おこったことを今日書くから新しいように見えるだけで、不易と流行といって私は万古不易なものしか書きたくないから、いつも同じことを書くことになる。天が下に新しいことはないのだから仕方がない。寄せては返す波の音だと思えと、友の一人は私をかばってくれた。》
なんて文章を読むと,「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみせるがいいぢやないか」と言い放った小林秀雄とオーバーラップして,「がんばれ,じいさん」と声をかけたくなります。もっとも,数年前になくなってますが・・
振り返って書棚を探してみると,「失敗の本質」のとなりに「最後のひと」が一冊だけ見つかりました。
さてさて,年々歳々花相似たり,年々歳々人同じからず
会うは別れの3月ですが,皆様お変わりありませんか・・

