法 正義 復讐
久しぶりに,生の音楽を聴いた。
「天空のラピュタ」から「君をのせて」そのほか色々・・・
鹿児島県警察音楽隊の演奏で,なかなか良かった・・・
帰ってきて,ジブリのCDを引っ張り出して聴き込んでしまった・・・
閑話休題
犯罪被害者支援の講演を聴いてきた。
その中で,考えさせられたのが,被害者の刑事手続き参加の話だった。
刑法の基本的な認識として,犯罪は国家・社会の安寧・秩序に挑戦することに対する罪であって,刑罰はその報復であると観念する。
すなわち,被害者への犯罪という形での攻撃で生じた国家・社会の安寧・秩序の毀損は,国家・社会の報復である刑罰によって回復される,という仕組み・考え方が,近代市民社会の法(権利あるいは正義と言い換えてもいいのだろうが)の原理である。
これを「昇華」と呼ぶのか,「幻想」と呼ぶのかはともかく,被害者の刑事手続きへの参加は,この原理を揺さぶる可能性を秘めている。
もう少し,その哲学と実務の運用を勉強してみようと思っている。
(余談・・・)
私は,私の世代では珍しく,木村亀二先生の教科書で主観刑法を習った。
私の脳内では,刑法は哲学で憲法は思想である。いずれも難しすぎてよくわからない。
おまけに法社会学は栗本真一郎で,いつか書いたと思うが,共同幻想論を今以て卒業できないでいる。
「犯罪にたいする復讐の法(権利)は、不正義だとはいえないが、現実の法的行為としておこなわれるとすれば、正しくはない。
権利を侵害された当事者にかわって、裁判所という独自の現実的空間をもつ共同体が、当事者への侵害を法律への侵害ととらえて登場し、犯罪の追及と処罰を引きうける。
そのとき、追及と処罰は、主観的で気まぐれの報復とは別種の、法(正義)の真の復元たる刑罰に転化する。
客観的に見れば、それは、犯罪の克服によっておのれを再建し、みずからの有効性を実証した、法律の復元であり、犯罪者の主観に即していえば、犯罪者が法律の存在を自覚し、それが自分のためにあり、自分を保護してくれるものとしてあることを確認する、という形での法律の復元である。
犯罪者は法律の裁きを受けるなかで、それこそが正義の実現であり、法律は犯罪者たる自分のなすべきことをなしているだけだ、と認識するのである」
(ヘーゲル 法哲学講義)
こちらも参照してみて下さい。
『行為の法的責任』を何処に求めるか?:道義的責任(主体責任)と社会的責任(結果責任)の比重
