2010年1月13日

鹿児島 大雪 積雪 3cmの平常運転

 

7:05 鹿児島市交通局のHPにて,バスの運行状況を確認DSCF1688

鹿児島市交通局 人に環境にやさしい市電・市バス

現在の運行状況

市電は平常どおり運転しております
市バスは平常どおり運転しております

7:20 バス停着

7:29 定刻になってもバスは来ない
それどころか,その前に来るべき別の路線のバスも来ない

7:40 この時分に,バス待ちの人がピーク(40人ほどか?)

7:50 このあたりで,あきらめて帰る子ども連れや歩き出すおじさん増加
バス停前でUターンしたハイエース風のバン,チェーンが解けて置き去りだ・・・

8:05 同方向の路線バス3台連続で到着
ただし,1台目には乗車拒否され,2台目の前(降車ドア)から乗車
(同時刻の山手線のような混み具合)
(ちなみに,大体いつも職場に着く時間だ)

8:07 次に止まったバス停から,乗車は,とある小学校の生徒のみ
大人は次の○番線に乗ってくれ,との告知あり
(その○番線,たしかに方向もバス停の名前も同じなんだが,バス停の位置が別の通りだ)

8:43 とある小学校前バス停着
なかなか礼儀正しい子供達であった。
人口密度が急激に低下

8:45 運転手から「本日雪のため定時運行できません。ご了承下さい。」との告知あり
おっ,それは本社の見解と違うぞ!!

9:05 職場到着

 

 

で,19:00に帰宅してから,かのHPを覗いてみたわけだが,やはり,「平常どおり」運転しているのだった。

40分待ちの30分遅れ位は,通常運行の範囲なのだ・・・

2010年1月12日

要領のいい説明の方法 など・・・

どうも最近お仕事の性質が,不本意ながら抽象的なものが増えてきてしまった。 説明のコツ-1
何かの達成を目指す,というより,プロジェクトやらセクションやらの調整が増えてきた。 
「着実に力を付けて,これだけの成果を上げた!」という実感がない・・・
しこたま勉強させられて,振り返ってみて,「ああ昨日よりは進歩したかな」という感慨がない・・・

と,まあぼやいても仕方がないのだが・・・

調整なんぞという仕事は,人の話を聞いて,それをさらに別の人に話す作業が基本で,結局,自分のして欲しいこと(印鑑をつけとか,予算を認めろとか,もっとえらい人にあなたから説明しろとか)を相手にしてもらう作業な訳だが,どうも,この「説明」というやつを苦手な人も多いらしいことに,最近気がついた。

「結局,私に何をして欲しいのか?」ということが,よくわからない「説明」が,結構多いのだ。

個人的には,「この人は結局何を言いたいのか?」と推理しながら,使っている「言葉(単語)」の妥当性や論理の展開を追っかけてみるのは,その人の言語生活や精神風景をかいま見るようで密かに楽しかったりするのだが,さはさりながら一方で,鉄火場進行しているお仕事を抱えながら,ひとり「結局,私に何をして欲しいのか?」を楽しむことも(周りの皆さんに)気が引けるので,「要領のいい説明の方法」なるものをまとめてみた。

まとめたといっても,ブックオフで「それらしい本」を100円で買ってきて,後輩にサマリーを作るようお願いして,出てきたものを取捨選択して見やすくして落ちてるものを加えただけ・・・説明のコツ-2

で,機会を見つけて関係の皆さんにお裾分けしたわけだが,この中で,最も大切なことは,やはり【0.説明の前に】を認識して相手に臨むことだろうか。

 

・・・(ここから本題)・・・

 

しかし,これはあくまで,「相手にわかってもらう」ことを目的とした「まとめ」であり,世の中には,そうではない目的のための「説明」や「文章」もあるのだ。
(実に多かったりする。)

煙に巻かれたようで結局何が何だかわからない」,「彼の立場からはこう解釈できるが,彼女の立場からは確かにこうも解釈できる」といった,原則から外れた文章やら説明やらに出くわす(創作する)ことも,なぜか最近は多いのである・・・

これは実に高度(な技術)で高級(な認識)であって,まさに豊富な経験に基づく認識が老練な言説(文章)に結実した,味わうべき見習うべきものであって,「結局何が言いたいのか?」などという空気を読めない発言をしてはならない(たとえ心で思っても)ものなのである。

この境地に至れば,もはや言葉や文字は既に記号でしかなく,彼我の共同幻想の乖離をその記号の量で表す,不立文字の哲学に立ち入ることができる・・・(とはいえ,聴く(読む)だけならともかく,関わりたくはないわけだが・・・)

「仮名序」などとは対極にある境地ですね・・・

 

◇古今和歌集 仮名序

やまと歌は
人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける
世の中にある人
事 業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり
花に鳴くうぐひす
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの
いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり

2010年1月11日

某市長のブログについて あるいは超人の思想

 

引用の積み重ねで真意を醸し出していく手法は衒学的で,実は中身の薄い私などにはぴったりのレトリックなのだが,さすがに公人としては不味かろう・・・

なんだか,哲学者クロサキの受け売りみたいで嫌だが,実際インターネットなんぞというものは,結局は便所の落書きに毛が生えたようなもので,この自覚を失ったときに,読み手も書き手も堕落していくのだろう。

電網の中の仮想現実は,個々人の幻想を先鋭化させ,共同幻想すなわち現実の社会を浸食していく。

ニーチェの箴言は時代を超えて妥当する。(ほうら,衒学趣味(・・)v

ニーチェツァラトゥストラはこう言った

すべての書かれたもののなかで、わたしが愛するのは、血で書かれたものだけだ。血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。

他人の血を理解するのは容易にはできない。読書する暇つぶし屋を、わたしは憎む。

読書がどんなものか知れば、誰も読者のためにはもはや何もしなくなるだろう。もう一世紀もこんな読書がつづいていれば、――精神そのものが腐りだすだろう。

誰でもが読むことを学びうるという事態は、長い目で見れば、書くことばかりか、考えることをも害する。

かつては精神は神であった。やがてそれは人間になった。いまでは賤民にまでなりさがった。

2010年1月10日

鬼火焚き

朝,8時半小学校の校庭集合で,鬼火焚きの竹刈りに行ってきました。DSCF1669

歩いていけるところに竹林なんてあったかしらん,と思いつつ,40名ほどで行軍すると・・・

ありました。かけごしをさらに山手に,左にたどって突き当たりの山。水源地なのだそうです。

徒歩約15分。この山を踏み越えれば,常磐,武岡か?(地図ではそうなっている)

竹を切り出し,校庭まで運んで櫓を組み終わってちょうど12時。

 

写真は18時。点火の瞬間です。

2010年1月 1日

謹賀新年

桜島縦

 

季節外れの黄砂のせいで,なんだか全体がボーっとしてしまいました。

昨年12月26日,512回目の爆発を,桜島フェリーから撮影したものです。

溶岩ロードからのものや,持木川あたりから残雪が日光に燦めいているものなどあったのですが,やはり桜島は,錦江湾とセットでないと,らしくないですね・・・