2010年3月21日

山桜

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国分で予定していた用事が後回しになってしまい,すっぽりと時間が空いたので,久しぶりの石採りに亀割峠に出かけた。

このあたりは凝灰岩と安山岩が出るはずだ。

前日の嵐の名残の病葉や大振りの枝を避けつつ,一廃の処理場を通り過ぎ,九十九折り切り通しを抜けると,唐突に豪勢な山桜が姿を現した。

はや行き交う人もなく,人知れず我が世の春を咲き誇る桜は,清涼たる山気に清々しい美しさだ。

 

しきしまのやまと心を人とはば、朝日ににほふ山ざくらばな(本居宣長)

 

その夜,ビールにほろ酔いながら,はじめて見た大河ドラマで松陰の辞世が弟子の書斎に掲げてあった。

 

身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂(吉田松陰、享年満二十九歳)

「死して不朽(ふきゅう)の見込みあらば、いつでも死すべし。生きて大業の見込みあらば、いつまでも生くべし。」

2010年1月12日

要領のいい説明の方法 など・・・

どうも最近お仕事の性質が,不本意ながら抽象的なものが増えてきてしまった。 説明のコツ-1
何かの達成を目指す,というより,プロジェクトやらセクションやらの調整が増えてきた。 
「着実に力を付けて,これだけの成果を上げた!」という実感がない・・・
しこたま勉強させられて,振り返ってみて,「ああ昨日よりは進歩したかな」という感慨がない・・・

と,まあぼやいても仕方がないのだが・・・

調整なんぞという仕事は,人の話を聞いて,それをさらに別の人に話す作業が基本で,結局,自分のして欲しいこと(印鑑をつけとか,予算を認めろとか,もっとえらい人にあなたから説明しろとか)を相手にしてもらう作業な訳だが,どうも,この「説明」というやつを苦手な人も多いらしいことに,最近気がついた。

「結局,私に何をして欲しいのか?」ということが,よくわからない「説明」が,結構多いのだ。

個人的には,「この人は結局何を言いたいのか?」と推理しながら,使っている「言葉(単語)」の妥当性や論理の展開を追っかけてみるのは,その人の言語生活や精神風景をかいま見るようで密かに楽しかったりするのだが,さはさりながら一方で,鉄火場進行しているお仕事を抱えながら,ひとり「結局,私に何をして欲しいのか?」を楽しむことも(周りの皆さんに)気が引けるので,「要領のいい説明の方法」なるものをまとめてみた。

まとめたといっても,ブックオフで「それらしい本」を100円で買ってきて,後輩にサマリーを作るようお願いして,出てきたものを取捨選択して見やすくして落ちてるものを加えただけ・・・説明のコツ-2

で,機会を見つけて関係の皆さんにお裾分けしたわけだが,この中で,最も大切なことは,やはり【0.説明の前に】を認識して相手に臨むことだろうか。

 

・・・(ここから本題)・・・

 

しかし,これはあくまで,「相手にわかってもらう」ことを目的とした「まとめ」であり,世の中には,そうではない目的のための「説明」や「文章」もあるのだ。
(実に多かったりする。)

煙に巻かれたようで結局何が何だかわからない」,「彼の立場からはこう解釈できるが,彼女の立場からは確かにこうも解釈できる」といった,原則から外れた文章やら説明やらに出くわす(創作する)ことも,なぜか最近は多いのである・・・

これは実に高度(な技術)で高級(な認識)であって,まさに豊富な経験に基づく認識が老練な言説(文章)に結実した,味わうべき見習うべきものであって,「結局何が言いたいのか?」などという空気を読めない発言をしてはならない(たとえ心で思っても)ものなのである。

この境地に至れば,もはや言葉や文字は既に記号でしかなく,彼我の共同幻想の乖離をその記号の量で表す,不立文字の哲学に立ち入ることができる・・・(とはいえ,聴く(読む)だけならともかく,関わりたくはないわけだが・・・)

「仮名序」などとは対極にある境地ですね・・・

 

◇古今和歌集 仮名序

やまと歌は
人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける
世の中にある人
事 業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり
花に鳴くうぐひす
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの
いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり

2009年11月 8日

新釈 現代文

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久しぶりに文庫本をゲット。

いろいろと,感想というより感傷を,思ったのですが,私の書きたいことは,既に 『新釈現代文』文庫化 - BLOG_inainabaにほとんど書いてあった・・・

で,試しに高校2年の娘に読ませてみたところ,「著者の主張より,引用されている問題文の方が易しい」との感想・・・

まあ,「新釈現代文」を覚えているかなんてスレに書き込んでる方々は,私と同世代なんだろうなぁ・・・

 

一通り目を通したので,娘に「教養として」読むように諭しつつ払い下げました。

(正直なところ,息子の方に読んでもらいたいと思っているのですが,さすがにまだ無理そうです・・・)

2009年11月 1日

臨済録 臨済語録

息子を塾に送った帰りの車の中で,なにげにラジオを聴いていたら,小川氏の対談があった。image

禅問答の難しさは,内容はともかく,漢文自体が唐代,宋代の口語であって,他の文語調の漢文と異なっているため,とのこと。

縁あって入矢先生の勉強会に入れてもらい,豁然と目が開いたような気持ちになり,こんな風に公案を読んでみたい,と思って精進を重ねた,といったお話。

忘れないうちに,自分用メモ・・・

Amazon.co.jp: 臨済録 (岩波文庫): 入矢 義高: 本

臨済録 禅の語録のことばと思想 - 小川隆/著 - Yahoo!ブックス

2008年4月21日

うたてしやな・・

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 娘の宿題を解かされた・・・

 これも今は昔,田舎の児比叡の山へ登りたりけるが,桜のめでたく咲きたりけるに,風のはげしく吹きけるを見て,この児さめざめと泣きけるを見て,僧のやはら寄りて,「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを惜しう覚えさせ給ふか。桜ははかなきものにて,かく程なくうつろひ候ふなり。されどもさのみぞ候ふ」と慰めければ,「桜の散らんはあながちにいかがせん,苦しからず。我が父の作りたる麦の花散りて実の入らざらん思ふがわびしき」といひて,さくりあげて,よよと泣きければ,うたてしやな。
(宇治拾遺 巻一第十三 田舎児桜散みて泣事)


 これも昔の話,田舎の稚児が比叡山(延暦寺)に入り,桜が見事に咲いているところへ,風が激しく吹くのを見て,この稚児がさめざめと泣くのを見て,僧侶がそっと寄り,「なぜそのように泣くのです。この花が散るのを名残惜しく思われるのですか。桜は儚く,こうして程なく移ろい去るものです。ただそれだけに過ぎないのです」と慰めると,「桜が散るのはどうしようもないことだから,かまわない(関係ぇねえ)。父の作った麦の花が散って,実入りが少なかったらと思うのが侘しいんだ」と言い,しゃくりあげて,よよと泣いたというのだから,うたてしやな。


 娘の質問
  1 なぜ僧は稚児に対して丁寧な言葉を使っているのか
  2 「うたてしやな」は,作者の誰に対する感想なのか

 答え(超意訳)
  僧は,稚児には桜の散るのを惜しむ風流心がある,と思った
  そこで僧は,風流を解する稚児に(これは見所がある,と思ったのか)(敬意を表して),丁寧に,無常を説いた
  (13世紀ですからね・・方丈記の時代ですぜ・・徒然草も書き始められた頃かも・・)
  でも,稚児の涙はもっと現実的な理由だったので,全くの見込み違い
  なんとも,うたてしやな

 1は,まあ高校生には,敬意を表して,とか,からかって,とか教えるんでしょうな・・
 男色の下心で,とはちょっと教えにくい・・
 
 2は,難しい。
 稚児の無教養を不快に思ったのか,僧の失敗(稚児を見損なったことorナンパ自体)を「おっと残念!!」と揶揄しているのか・・
 冒頭に,「田舎の児」と明記しているから,期待はしていないはずなので,私は後者だと思うが,高校生には,前者だ,と教えるしかあるまい・・・

 と,言うわけで,本日の甲突川の桜です。
 
 散る桜 残る桜も 散る桜