2008年5月26日

敬天愛人 自分用メモ 四字熟語


 ちょっとお仕事で,四字熟語を調べたので,忘れないように,自分用メモを残す

 今日は,敬天愛人
 西郷南洲翁の遺訓として有名だが,初出は康煕帝らしい。
 しかし,耶蘇教との関わりがあったとは・・・
 


 道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。
 天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。
  (西郷南洲顕彰会発行・南洲翁遺訓より抜粋)


 なお,以下は,西郷隆盛書「敬天愛人」の典拠から

 西郷隆盛は一八七五年(明治八)ころ、訪れる客の求めに応じてしばしば「敬天愛人」という四字成句を揮毫した。諸橋轍次氏編『大漢和辞典』は、この四字成句を「西郷南洲の語」とし、『南洲遺訓』の一節を引いている。

 「道は天地自然のものなれば、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始す可し」

 『南洲遺訓』は旧庄内藩の藩士たちがしばしば鹿児島の西郷のもとを訪れて座談したさいの記録であり、最終的には一八七四年(明治七)に訪問した赤沢経言が筆録し、一八七五年(明治八)に訪問した菅実秀の校閲で、西郷死後に公刊されたものである。
 西郷隆盛揮毫の「敬天愛人」の書は、現在一〇幅残っているが、一八七五年以後の揮毫とされている。したがって西郷隆盛がこの四字成句を思いつくのは、それ程以前のことではないであろう。

 

 中村敬宇訳述『西国立志編』

 井田好治氏・沢田鈴歳氏・増村宏氏ら鹿児島在住の方々の研究によれば、「敬天愛人」の直接の典拠は、サミュエル・スマイルズ著・中村正直(敬宇)訳述『西国立志編』(原書は『Self-Help(自助論)』)である。
 同書は一八七一年(明治四)刊行されているが、訳者「緒論」に、国会議員たる者は「必ず学明らかに、行い修まれるの人なり、敬天愛人の心ある者なり、己に克ち、独りを慎しむ工夫ある者なり」という一節があり、また「西国古今儁傑の伝記を読み、その皆自主自立の志あり、艱難辛苦の行ないあり、敬天愛人の誠意に原づき、もってよく世を済い、民を利するの大業を起こし云々」と述べている。


 

  中村敬宇著『敬天愛人説』

 実は中村敬宇には、これより以前に『敬天愛人説』と題する著作がある。敬宇は昌平黌で儒学を学ぶ一方で、蘭学・英学を学び、一八六六年(慶応二)イギリスへの留学生派遣にさいし、監督として引率し、一八六八年(慶応四)戊辰戦争のさなかの六月帰国した。

 帰国するやかれはすぐに駿府に移った。前将軍徳川家の駿府移住に従ったのである。駿府はまもなく静岡と改称され、静岡藩となる。

 敬宇は駿府に移ってすぐ『敬天愛人説』を執筆した。
 これは全文「敬天愛人」の説明であるが、たとえば「何をか愛人という、曰く、天を敬するがゆえに人を愛す。わが同胞を愛するは、わが父を敬するによる。」というくだりがあるが、この父は肉親ではなく「天上の父」つまりキリスト教の父なのである。

 出典は新約聖書のマタイ伝の一節である。
 これは出典を問い合せた静岡藩権大参事大久保一翁(忠寛)の礼状によっても確かめられる。
 敬宇はこれを中国伝統思想の「天」=上帝と重ねあわせて理解しようとしたようである。
 敬宇の号自体「敬天」と同義であろう。


  康煕帝書「敬天愛人」

 一六七一年(康煕十)清の康煕帝が「敬天愛人」という扁額を書いて、キリスト教会に与えたことがある。これが後年問題を生じた。

 儒教の「天」は上帝であり、キリスト教の「天主」と同じとする折衷的な解釈で孔子や祖先への伝統的行事への参加を黙認するか、それとも中国の「天」は宇宙に広がる空間・自然であって、神ではないとし、孔子崇拝や祖先への伝統的行事への参加や、「天」「上帝」の用語の使用を禁止するかの対立である。
 
 結局ローマ教皇は後者の解釈を支持したから、康煕帝はこれに激怒し、前者の解釈に従うもののみ許容することとし、のち雍正帝はキリスト教を全面的に禁止している。
 
 「天」をどう理解するかは、中国文化圏におけるキリスト教のあり方にかかわる重大問題であったのである。


2008年5月25日

一視同仁 自分用メモ 四字熟語

引き続き,自分用メモ 四字熟語編 一視同仁


goo辞書より

一視同仁

 すべてを平等に慈しみ差別しないこと。えこひいきがなく、だれかれの区別なく同じように人を遇すること。
 また、身分・出身・敵味方などにかかわらず、どんな人でも平等に慈しみ、禽獣きんじゅうにも区別なく接すること。
 ▽「一視」は同じように見ること。「仁」は思いやり・愛情の意。「同仁一視どうじんいっし」ともいう。
 出典 韓愈「原人」


  「視を一にし仁を同じくす」と読む。

  「一視」は、平等に見る。「同仁」は、すべてに仁愛を施すこと。

  原典は,「聖人は一視にして同仁、近きを篤(あつ)くして遠きを挙ぐ」

 (古(いにしえ)の聖人はすべてを分け隔てなく平等に見て、近いものから手厚くし、遠いものへと及ぼしていく)と。


 
  ニュアンスとしては,「公平無私」といったところか・・

2008年5月24日

和顔愛語 自分用メモ 四字熟語編


引き続き,自分用メモ 四字熟語編 【和顔愛語】


「くろご式 慣用句辞典」

【和顔愛語】(わげんあいご・わがんあいご) 《四熟》《仏教用語》
和(なご)やかな表情と、親愛の情が篭もった言葉遣い。
虚偽や媚び諂(へつら)いのない、親しみ易く温かい態度のこと。
 類:●端正和顔●和顔悦色●和容悦色
 出典:「仏説無量寿経?巻上」「無有虚偽諂曲之心、和顔愛語先意承問」

和顔愛語の出典は,大無量寿経で,「和顔愛語先意承問」と続く。
穏やかな態度で優しく接し,問われる前にその意を体する,位の意味か・・

「相手の気持ちを慮って,暖かく接する」としておこう。

2008年5月23日

両刃の剣 自分用メモ 四字熟語

 引き続き,四字熟語

 まず,基本的な知識として

 剣(けん)
   両刃の「剣(つるぎ)」と片刃の「刀(かたな)を含む
 
 「剣(つるぎ)
  両刃以上(「七支刀」とか)
  一般に反りがなく、直線的で基本的には突く武器

 「刀」(かたな)
  片刃(「かたは」が「かたな」に転じたとも)
  一般に反りがあり,細く,基本的には切る武器

で,両刃の剣だが,

間違いやすい言葉の正誤判定

(350)(正)諸刃(もろは)の剣(つるぎ) /(正)両刃(りょうば)の剣(つるぎ)

(正)原子力の開発はよく両刃の剣と言われるが、日常私たちの使う薬にも、そうした面のあることを忘れてはならない。

コメント
 この語は「もろはのつるぎ」が本来の言い方である。
 漢字表記は「諸刃の剣・双刃の剣・両刃の剣」が用いられた。(「常用漢字表」には、「諸」「双」「両」に「もろ」の読みは示されていない。)
 近年、「両刃の剣」と書いて「りょうばのつるぎ」と読まれるようにもなった。
 国語辞典にも、「もろはのつるぎ」と「りょうばのつるぎ」の両方を掲げるものが多い。
 しかし、「もろは(りょうば)の‐けん(剣)・やいば(刃)・かたな(刀)」といった読みは一般的でない。
 この語の意味は、「(両方に刃のある剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分を傷つける可能性もあることから)相手に打撃を与えると同時に、こちらもそれなりの打撃を被るおそれのあること。役に立つと同時に、使い方によっては危険を招きかねないこと」を表す。

 なお,このページによると

 (349)(正)諸手(もろて)を挙げて /(誤)両手を挙げて

(誤)新しい提案に対して、皆は両手を挙げて賛成した。

(コメント:
「諸手を挙げて(賛成する)」は、「無条件に、または、心から(そのことに同意する)」ことをいう。これを冒頭例のように「両手を挙げて」と言うと誤りである。
もっとも、実際に両方の手を挙げて背伸びをする(あくびをする)ような場合は、「両手を挙げて」でよい。
なお、「常用漢字表」には、「諸」に「もろ」の読みは示されていない。)


 確かに,両手を「もろて」とは読みにくいわな・・

2008年5月22日

可惜身命(あたらしんみょう) 自分用メモ 四字熟語編


 さて,四字熟語である。お仕事で調べたので,忘れないように,自分用メモ。

可惜身命(あたらしんみょう)

【意味】
体や命を大切にすること。
「可惜」は、形容詞「あたら(可惜)し」の語幹から来た表現で、惜しくも、もったいないことに、という意味を表し、「身命」は、体と命を指す。
すなわち、この熟語全体では、体や命を惜しむとなる。
可惜しは、このままにしておくのは惜しい、または、このままにしておくのは惜しいほど立派だ、という意味だが、平安時代以降は、しばしば新し(あらたし)と混同して使われた。

※対義語
不惜身命(ふしゃくしんみょう)


 「あたらしんみょう」は,調べた限り,不惜身命の対義語として出てくる。
 不惜身命の方は「ふしゃくしんみょう」と音読みなのに,「かしゃく」と読ませず「あたら」と和語で読ませるあたり,日本製の熟語なのかも知れない。

(参考)

不惜身命
 意味
  仏道のために身も命も惜しまないこと。身や命をささげて惜しまないこと。身を顧みないこと。▽仏教語。「不惜」は惜しまないこと。
 出典
 『法華経ほけきょう』譬喩品ひゆぼん